2022年07月30日

“わたしごと”にならない価値発信の齟齬

ある業界紙で、

商品になじみがない層に価値を発信するには、

SNSや動画でインフルエンサーに発信してもらうことが有効。


とあった。


本当にそうだと考えているのだろうか。


まったく別のある記事では、

顧客価値体験で必要なことはいわば“表明と開示”を前提に、

かつ、その情報の受け取り手にとってあるたくさんの選択肢の中で、

【受け取り手自身にとって意味があるかどうか】が重要だとある。


この2つの間にある齟齬はなんだろうか。


それは、『自分』という主語が明確に異なる点ではないだろうか。

前者では『自分』とは、その業界人たち。

後者では『自分』とは、消費者である。

当然、その商品が売れているのは後者であり、前者は市場がシュリンクしている。


『自分』=“わたしごと”になるには、

その消費者の生活の中に実地として現実に入り込まなければ“わたしごと”にはなり得ない。


一見、SNSやインフルエンサーは、一般消費者の生活の中に入っていると思いがちだがそうではない。


“わたしごと”にして思い返してみれば自明の理だが、

自分の見たい情報を見ている中に、自分にとって意味のない情報がインフルエンサーから流されたとしても、完全にスルーしてはいないだろうか。

いや、スルーしたことにも気づかないくらい、眼中に無いではないだろうか。

TVCMだろうが、有名人だろうが、インフルエンサーだろうが、

“わたしごと”でないものはそもそも見もしないのである。


消費者の“わたしごと”に新たに入り込むには相応の投資と、すぐには結果が見えづらい、汗と涙の地道な現場展開が必要なのであり、

そろそろ、“効果的”とか“効率的”とかいう言葉に隠れた、人任せで自らは汗をかかない戦略を改める時ではないだろうか。

環境開発計画 山本 利晴
posted by B.A.R planning at 12:00| 環境開発計画