特に和酒では、そうした商品が多いように感じます。
商品名を言うと皆が知っている、または、CM等では見たことがあるが、
一度も飲んだことが無いと、特に若い人から聞くことが多いです。
ここに、酒にとっての『認知』と『認識』の間にある、簡単には越えられない深く大きな溝があると思います。
では、『認知度』が高いのに、『認識』されていない酒はどうしたら良いか?
酒にとっての『認識』、『理解』といったものは、
お客様の“頭”に対してだけでなく、“身体”に対して、一定の回数を持って『浸透』させる。
お酒は、洗剤などの日用品と違い、毎日必ず必要なものではありませんし、
洗剤などの日用品と違い、全世代に必要とされるものでもありません。
大半の人にとってお酒は、“無くても問題ない”ものであるため、
“一定の回数を持って『浸透』させる”には、【場】が必ず必要になります。
お酒にとってこの【場】とは、【家】か【外】しかなく、
【家】飲みでは、新たに飲んだことのない酒を広告広報などで【認知】はさせられても、
飲んだことのない酒を買ってまで飲ませる【認識】させるまでには至りません。
となると残るは【外】飲みで、“一定の回数を持って『浸透』させる”【場】を創造するしかないのですが、
この“一定の回数を持って『浸透』させる”ための閾値に達するまでを戦略化して展開できている酒メーカー全体でも数社に限られ、和酒ではさらに少ないと言わざるを得ません。
戦略化するために目的を明確にし、自社のリソースを『業務用営業』に振り分けられるか。
これが、和酒を【認識】させるというテーマに対し、問われ続けているのではないでしょうか。
環境開発計画 山本 利晴