「特定名称酒」と「レギュラー酒」が対比され、
また、“ブランド化≒高額商品”という趣旨の記事を読みましたが、
これに私はどうも違和感を覚えるのです。
清酒は過去、級別制度廃止により、特定名称表示となり、
それにより、消費者が酒を選びやすくなったかのように書かれていたのですが、
私はまったくの正反対であると思っています。
1級酒市場と2級酒市場の棲み分けはシンプルで、
V.I.も統一され、消費者は自身の購買動機に合わせて、
選びやすい状態にありました。
それが「特定名称酒」になり、
“純米大吟醸酒純米吟醸酒純米酒大吟醸酒吟醸酒本醸造酒”と複雑になり、
そこに“精米歩合酒造好適米飯米”などと言われ、複雑怪奇。
清酒はコアなファン層以外は手を出してはいけないというオーラを放つ世界観を醸成しています。
さらにそこに最近では、超高額(1本数百万円だのNFTだの)酒が現れ、
それをもって“ブランド化”されているとか言われているのです。
このように、どんどんエンドユーザーから遠ざかっています。
“ブランド”とは本体、メーカー側が提示するものではなく、
ユーザーの頭の中に醸成されるものなのですが、
今の清酒の流れは完全にその反対。ユーザーの頭の中からどんどん無くなって、
一部のファン向けコア商材や、富裕層による投機対象商材に向かっているように見えます。
「レギュラー酒」による業家連動展開で、
新たな飲み手を創造がもっとも大切な取り組みであるにも関わらず、
まったくその反対へ突き進んでいます。
清酒復権は加速度的に遠のいていると私には見えています。
誠に残念な流れです。
環境開発計画 山本 利晴
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