春本番を迎える中、酒主体の料飲店にも通常営業が戻りました。

もう二度と、外食“禁酒法”が出されないことを心より祈念いたします。
さて、そんな中、新聞等のメディアに掲載された3つの記事に注目しました。
(1)アメリカのアルコール関連死がコロナ禍で急増、20年に3割増(※2022年3月24日nikkei.com記事)
(2)「下戸、苦情」で下克上、飲まない人々のノンアル革命(※2022年3月24日nikkei.com記事)
(3)ホントに飲酒で免疫力は下がるのか?コロナ禍の今こそ徹底検証(※2022年3月24日日経Gooday記事)
以上です。
詳細の内容は各メディアを参照いただければと思いますが、
この3記事に共通しているのは、
「ただ酔うための酒は【悪】である」という趣旨です。
私も当然「ただ酔うための飲酒」は問題であるという側面では賛同します。
しかしながらこれらの記事には、
酒の存在意義であると言って良い“命の水”たる側面が無視されています。
現下某国で行われている戦争における情報戦のようなものでしょうか。
ある一面、片面からだけ物事を見てしまうと、見解はどうしても偏りますね。
酒に関しての最近の【悪】とする潮流も同様ではないでしょうか?
酒には、人と人との関係を豊かにする側面もあります。
酒には、適量飲酒と適度なおしゃべりで、ストレスを解消し、明日への活力を得られる側面もあります。
酒には、神事から宴まで、人の歴史と文化を育んできた側面もあります。
そうした側面は一切論ぜず、ただただ【悪】であるという発信は、人が人たる文化的側面の一部をも【悪】とされかねないと強く危惧するところであります。
環境開発計画 山本 利晴
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