“飲み場”を新たに創造しない酒は、飲み手とさらに乖離が進む。
という点でした。
現下、コロナによって飲酒の場が減り、
お酒を飲めない、または飲めるがあえて飲まない人の数が増えている上、
会社飲みなどに嫌気がさしていた人たちが、無理をして飲みにつきあうということを止め、
またこうした流れを後押しするかのように、少量飲酒でも健康被害が出ると言った論調まで出ています。
これらそれぞれはお酒を取り巻く一側面だけを捉えて、
それが全てかの如く論ずるメディアの特性と言っても良い現象であり、
シュリンクする日本酒市場にとって、争いようの無いものであるかのような雰囲気がありますが、
それは言い訳にすぎないと言って良いと思います。
コロナによって、日本酒の外飲み主戦場である【居酒屋】が窮地に陥っていることも事実です。
また、高齢化によって、日本酒の既存の飲み手が年々減少することも事実です。
であれば、日本酒は、既存の流通先、既存の飲み手ではない新市場へ、
“飲み場”を新たに創造し、新たな飲み手を増やすしか道はないのです。
そしてそれはこれまでの酒の歴史を見ても可能であり、
人と人が交流する、人が介する『価値』が確実に見直されていくであろう、
これからの時代の流れの中で、誰かが主体性を持って取り組み続けることが、
何より重要です。
その一翼を私たちも微力ながら、担って参ります。
環境開発計画 山本 利晴