複数名により構成される社会の中で共有される考え方や価値基準の体系のことである。
簡単にいうと、ある集団が持つ固有の様式のことである。
(実用日本語表現辞典)
とあります。
これに当てはめると、
「ハイボール」は“日本”の飲酒文化になったと言って良く、
「日本酒」は“コアな日本酒ファン”の飲酒文化であると言って良いと思います。
どちらを目指すかでありますが、
「日本酒」が履き違えていると思うのは、
“日本”の飲酒文化に復権したいように言いながら、
ひたすらに”コアな日本酒ファン”の飲酒文化たる活動ばかり、
今でも展開し続けていることであると思います。
例えば最近の事例で言うと、
「フランスで日本酒イベントが大いに盛り上がっている」とされますが、
「フランスの酒屋に日本酒はほとんどない」ということです。
日本の酒屋にはだいたいワインの品揃えが充実しているというのに、、
また、最近日本酒業界が取り組もうとしている『酒ハイ』
私たちが『SAKENIC』(SAKEニック・サキニック・サケニック)※登録商標
提案をスタートさせた2011年時点では邪道と言われたものが、
今では業界が『酒ハイ』に取り組まれることは良いことと思いますが、
まことに残念ながらこの展開には致命的に欠けていることがあり、
新たな飲酒文化となり得ることは、今のままではあり得ません。
前述のフランスでの“イベント盛況、実需はダメ”もそうですが、
こうして日本酒業界が履き違えていることとはなんでしょうか?
それは、冒頭に書いた【文化】の意味するところ、
その“ある集団”の設定の間違い、戦略の無さと言っても良いところです。
その集団が持つ固有の様式になる(する)戦略が皆無なのです。
いや、ズレと言った方が良いでしょうか。
厳しい、新たな飲み手を創造したい、新たな飲酒文化にしたいと口では言いながら、
その実、コアなところばかりに行って、コア飲酒文化を追ってばかりいます。
なぜそうなってしまうのか。
それには明確に答えがあります。
“数字”というものを常にどこかに置いてしまって見ないようにしていることです。
例えれば、1,000万人の新たな飲用文化にしたいのに、
10人、100人に大いに喜ばれた、ファンが増えた、若い女性が来たというようなことばかり言っています。
「酒ハイ」なら、300店舗に入った!好評だ!などと言っているのです。
残りの999万人以上にとって、そもそも日本酒など眼中にも入らない酒になっているというのに、、
設定数が、ターゲットの”ある集団“ではないところになされているのです。
それは、“数字”と言うとすぐに「そんな投資はできない」とばかり言われることに起因します。
“数字”を見ない市場創造などあり得るはずがないのですのに。。
「投資」とは「時間」を買って短くしているのであって、
一気に「投資」できないのであれば、じっくり「時間」をかけるべきなのです。
しかしながら、ほんの一年、もしくは数年で取り組みの熱は冷めていくのですね。
これは覚悟を持った先導社(リーディングカンパニー)が無いためです。
残念ながら、日本酒の新市場創造は未だまったく光が見えていませんね。
環境開発計画 山本 利晴
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