1日あたりの「純アルコール量」を男女別にグラムで示し、
お酒の商品にも表示を見ることが増えてきましたね。
そして今年の秋ごろには、世界保健機関(WHO)で、
そもそも「適正飲酒はない」という議論がなされる
などという情報も出ていました。
話は変わって、令和元年に内閣府がクールジャパン戦略とした一つ、
日本のとあるアニメでは、
あるシステムが各個人の適正を計測してスコア化して管理し、
係数で犯罪もそれを犯す前に潜在犯として排除、隔離されるというストーリーのものがあります。
そのアニメの世界の中でも、飲酒は犯罪係数を高めるものとされています。
(ちなみに音楽や芸術、学問も管理下や排除の対象)
自分の能力、職業や結婚相手まで、
全てをシステムが決めて、それに従うことで人々は何も考えず、思い悩むこともなく、
一定の幸せが享受できるとされている世界とその相反、対峙が描かれています。
現実世界でも東京で電車に乗ると、
繰り返し、何度も何度も、子供に言い聞かせるように、
乗車時の様々な注意喚起がスピーカーから聞こえ続けます。
ヒトの脳は体重の2%ほどの重さしか無いにも関わらず、
1日に消費するエネルギーの約20%を消費するという大変な消費量のため、
その消費量をなるべく抑えようとする、考えることをできるだけ回避する傾向にあると、
何かで聞いたことがあります。
ヒトは基本「考えない=楽」という傾向に陥りがちであるということですね。
とりとめのないことを書き連ねているようにも思えますが、
私は、これら全てに共通する問題があるように感じています。
最近出版されたNewton別冊「酒と人類」を読みました。
まさにその表題の通り、太古から人類の歴史と常に共にあった『酒』
そして何より、人類の文化そのものであると言っても過言ではない、
人類の叡智の結晶が『酒』なのですね。
これに対し冒頭に挙げたように、国や世界機関が規制や排除を仕掛けてきているのです。
これには少なくとも判断力を備えた『大人』として、
嗜好品としての『酒』を愉しむ文化的な享受を放棄、排除させるような流れに
真っ向から反対の意思を示さなくてはならないのではないでしょうか。
それとも、飲酒だけでなく、全てを国なのか世界機関なのか何かのシステムなのかに決めてもらい、
嗜好品や文化的活動、人間がそれぞれに持つ考えや判断力など排除されても何も感じない、
ただそれに従ってブロイラーのように寿命を過ごすだけのような未来に向かうことが、
ヒトの脳の宿命とでも言うのでしょうか。
私はそんなことは断じてないものと信じたいです。
環境開発計画 山本 利晴